今朝のラジオ体操は、愛知県の弥富(やとみ)市。
全くの『初めまして』の地名でした(^^;;
やはり、西に行くに従って(群馬から離れるので)初めて聞く地名が増えてきます。
この全国巡回ラジオ体操は、それが楽しみでもあります(^_^)v
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さて、
昨日の続きのような記事で失礼します。
2歳で被爆し、その後10年後に白血病を発症し亡くなった、佐々木禎子さん。
鶴を千羽折ると病気が治ると信じ、病床で沢山の鶴を折っていました。原爆資料館で実物を見ましたが、とっても小さな鶴もあり、禎子さんの強い願いが心に刺さりました。
原爆の子の像は、佐々木禎子さんをはじめ、原爆で亡くなった全ての子供達の慰霊碑を作ろうと、子供達が募金活動などをして、昭和33年に設置されたものです。
その像の周りには、全国から(多分海外からも?)寄せられた沢山の千羽鶴がブースに収められています。
このたくさんの千羽鶴のその後って、ご存知でしょうか?
私も以前は全く知りませんでしたが、原爆資料館のボランティアさんから頂いたお土産で、千羽鶴が再生紙としてノートなどの紙製品に生まれ変わり、開発途上国、戦争の被害を受けた国の子供達に贈られ、平和への願いをリレーしていることを知りました。
こんな活動があることに、とても驚き、感動しました。
(これはだいぶ前に買ったものですが、今はデザインや種類も色々なものがあるようです。)
(折り紙から再生されているので、色々な色が混ざっていて、かえってお洒落な感じです)
千羽鶴のその後…という問題は、とても大きな問題だったと、ボランティアの方も話されてました。
永久保存?焼却処分?再生?…
たくさんの意見が出た中で、再生を希望する人達がアイディアを出し合って、このような活動を続けて来られたそうです。
この再生紙で作った名刺もあり、広島の方達は使われてるとか。
千羽鶴をほどき、折られているものをほぐしていく作業は、細かくて手間の掛かる大変な作業だと思いますが、こうして平和への祈りを世界に繋げていこうと行動することは尊いことだと思います。
お読み頂きありがとうございました。