monologue

60代主婦のひとりごと

明日で東日本大震災から8年。

明日3/11は、東日本大震災から8年の日。

今日はちょうど日曜ということもあり、テレビでも震災関連の番組があるようです。

明日明後日と私は県外に出かけるので、時間のある今日、ちょっと書いておこうと思います。

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震災では、私の住む群馬でも震度5強の揺れがあり、その後、ガソリン不足や計画停電にかなり振り回されました。

震災発生時は仕事中で、みんなで社屋から外に出ましたが、地面が揺れ、車が波打つ様に怖くて立っていられませんでした。ケータイを持っていた人がワンセグでテレビをつけて、みんなであの津波のリアルタイムの映像を見ましたが、現実味がなく(今まで見たこともないから)、一体何が起こってる?…というのが正直なところ。

その後、揺れは度々ありましたがとりあえず帰宅することにしました。

でも、途中の信号は停電で役に立たず、踏切も遮断機が降りたままで通れず。あちこち迂回し、やっとうちに着きました。

家の中は、高い場所のものはだいぶ落ちてましたが、その時家にいた義母と次女に怪我はなく一安心しました。(長女は春休みで友達と旅行先の神戸にいて、揺れを全く知りません)

テレビから流れる様々な映像は、どれもこの世のものとは思えず、大変なことになった…と、改めて怖さに震えました。

会社も混乱状態だったので、私は暫く自宅待機となりました。(ガソリンを入れるのも大変だったからちょうどよかったです)

その後は計画停電と、自分たちの生活リズムのすり合わせに苦心したものです。

学校は給食が出せないのでお弁当持ちに。朝の時間に計画停電になったりすると、その前にご飯だけは炊けるようにしなきゃ…とか、もう、「お弁当はオニギリだけね」とか(^^;;

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でも、そんなの被災地の方々の恐怖、悲しみ、苦しみに比べたらなんでもない…と思いました。

テレビ画面でしか見聞きは出来なかったけれど、テレビ画面の端に常に出ている様々な情報が尋常ではなく、この先どうなってしまうんだろう…と毎日不安の中にいました。

ちょうどその春は長女が高校卒業だったので、家族で広島旅行に行くことになってました。(震災から2週間後くらい)

行くのも躊躇いましたが、せっかく予定していたので行くことにしました。

当時関東で不足していた《電池》を、広島なら買えるかと期待して量販店に寄りましたが、広島でも買えなかったこと、広島で乗った電車(在来線)にも節電の影響が出ていたことに、日本中の一大事だと実感しました。

被災地へのボランティアに行かれた方も多かったと思いますが、自分の置かれてる立場や状況ではそれもなかなか出来ず、唯一の支援手段である募金を、ひたすらしていた記憶があります。

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その後、毎年この時期が巡ってくるとテレビや新聞で特集が組まれ、復興が進む様子、全く進まない様子などが全国に伝えられてきました。

今年で8年になりますが、被災地の方々にとってこの8年は〈早かった〉のか〈まだ〉なのか…。

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直接被災していない場所に住む私は…というと、震災後年数が経ち、戻った日常に追われて過ごすうちに、震災を過去のこと…と思ってしまうこともあり、反省しています。

最近は、各地で大規模な地震や災害も多く、いつどこで何が起こっても不思議ではない状況。

でも、つい〈自分のところは大丈夫だろう〉…と、根拠のない仮定にすがっているのも事実。

なので、毎年《3・11》にはちゃんと立ち止まり、あの時自分で体感した怖さや、見聞きした悲惨さ悲しさ苦しさ、そこから感じたことをちゃんと思い出さないと…と、思ってます。

(1日早いですが…)

 

お読み頂き有難うございました。