monologue

60代主婦のひとりごと

あの日から10年。

お立ち寄り頂き有難うございます。

 

すっかり放置してましたが、今日は記事を書かなければ…と、冬眠から這い出しました(笑)。

 

今年でちょうど10年が経った東日本大震災

このブログでも、多分毎年記事に書いてきたと思います。

 

hedahada.hatenablog.com

 

 

hedahada.hatenablog.com

 

今年は10年の節目だから、メディアでも沢山取り上げられてます。

 

NHKのラジオで、先日、あの日のあの時間にニュースを伝えていたアナウンサーさん(横尾さん…だったかな)が、当時を振り返って話されてましたが、聞いてて辛くなりました。

 

被害の状況がわかるに連れ、ニュース原稿が、どんどん増える死者の数を伝えるものになっていったこと。

「あの時自分がもっと違う伝え方をしていたら、こんなに大勢亡くならなかったかもしれない…。

そう自分を責めた。」

 

初めて聞いた、このアナウンサーさんの辛さに涙が止まりませんでした。

あなた1人が悪いわけじゃないよ…、って思いました。

 

この震災以降、危険が迫っている状況でのアナウンサーの口調は、あえて厳しくするようになったことを改めて思い出しました。

 

*   *   *

 

私の住む群馬も震度5強で、今まで体験したことのない揺れに、ほんとに怖かったことが忘れられません。

そして当時の色んな光景が、次々に浮かびます。

 

緊急地震速報の不気味な音がしょっちゅう鳴って、いつも身体が揺れてるように感じたこと、

ガソリンも少ししか無く、スタンドに長い行列ができてたこと、

スーパーに食料品が無くなったこと、

計画停電の中、ストーブの上でカレーやシチューを煮込んだこと、

震災から2週間後に予定していた家族での広島旅行、心配だったけど決行したこと、

関東で電池が全く買えないので、広島で買おうとしたら、そちらでも電池が買えなかったこと、

テレビ画面の端や上下に、生活情報などがずっと流れてたこと、

テレビのCMが無くなり、公共広告機構のCMばかりになったこと、

 

などなど。

 

*   *   *

 

ただ、

直接の被災地でない場所にいると、次第に普段の生活が戻り、テレビもCMやバラエティなどが放送されるようになってくると、震災の恐怖や不安、そして被災地に想いを馳せることが、年々少なくなってきてしまいます。

 

でも、

被災地には、まだ仮設住宅で暮らしている方々が多くいらっしゃること、

原発の周辺は今も放射線量が高く、近寄れないこと、

そして、まだ行方不明の方も多数いらっしゃること、

 

10年経ったからって、何も変わりはしない現実がそこにあることを、ちゃんと覚えてなければいけないと思いました。

 

 

改めて、東日本大震災で亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りすると共に、復興が少しでも進むことを祈ります。

 

 

お読み頂き有難うございました。