monologue

60代主婦のひとりごと

娘が巣立った日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

私の長女は3年前の秋に結婚しました。

なので、「記憶に残っている、あの日」は結婚式の日…と思うのが普通ですね。

もちろん娘の結婚式・披露宴の日は、家族みんなが同じ幸せを感じた最良の日でした。

でも、私にとってそれより記憶に残っている日は、その娘が嫁ぐために地元を離れていった日、本当の意味で巣立った日です。

 

挙式の2か月ほど前、8月最後の日に、娘は26年過ごした地元を離れました。

大学も地元で家から通っていた娘は、社会人になって初めて一人暮らしを始めましたが、車で行ける距離で家にもよく来ていたので、自立はしても巣立った感はありませんでした。

 

結婚が決まり、8月に入ってからは私も何度もアパートに通い引越しの手伝いをしました。

さだまさしさんの「秋桜」のように感傷に浸るのだろうか…と想像してみましたが、実際は、2人で他愛のないお喋りをしながら片付けるのが楽しいのと暑いのとで感傷に浸る間もなく、あっという間にその時間は過ぎて行きました。

 

そしていよいよやってきたその日。

アパートは空になっているので、娘は数日前から我が家で寝泊まりしていました。

娘は車も持って行くので、運転に自信のない娘に代わってお相手くんが運転するため、前日に仕事を終えて静岡から高崎まで電車で来て駅の近くに一泊して、当日は家に挨拶に来る…はずでした。

 

ところが、前日の夜お相手くんから娘に連絡があり、静岡から東京への移動の電車に財布を置き忘れてしまったとのこと。

幸い財布は親切な方が駅に届けてくれて無事でしたが、届いた先は新宿駅

群馬に来る切符は持っていて、宿もこちらで手配してあったので、宿泊には困らなかったけれど、問題が山積のまま、巣立つ日が来てしまいました。

 

免許証の入っている財布を受け取らないと、運転できません。

本人が取りに行ったとしても身分を証明する免許証は財布の中。

本人である証明ができません。

当日朝、高崎駅で合流したお相手くんは、すっかりしょげてしまって可哀想でした。

でも気を取り直して(笑)、その日のスケジュールを組み直し、お相手くんのお父様に、平日でしたが急遽新宿まで出てきて受け取ってもらい息子に渡してトンボ帰り、お相手くんも、高崎から新幹線で上京、受け取ってすぐに高崎に戻る…という綱渡り作戦に出ました。

財布を持っていないお相手くん。

普段身の回りのものはポケットに入れてるので(だから落とした)、往復の新幹線代を、私が持っていたパンダちゃんの絵のついた小さなポーチに入れて渡しました。

パンダちゃんのポーチを握りしめて改札に入って行くお相手くんの姿があまりにも可愛くて、私と娘は思わず吹き出しました。

 

そして、お相手くんが戻って来るまでの数時間が、最後の母娘時間となりました。

娘の車には身の回り品が詰まっているので、私の車でお世話になった方に挨拶に行ったり、お昼を食べたり…。

逐一入るお相手くんからの連絡を確認して、やれやれ…と一段落。

 

夕方、慌ただしくも予定通り戻ってきたお相手くんと一緒に、いよいよ娘は出発です。

駅前の立体駐車場の薄暗いフロアで、娘の荷物でいっぱいになった小さな車に乗り込む2人。

「気をつけてね」

「休みながら行きな」

「着いたら連絡してね」

そんな言葉を笑いながら矢継ぎ早にかけて、去って行く車を見送りました。

 

車が見えなくなった瞬間、さっきまでずっと一緒だった娘の賑やかな声も、アタフタするお相手くんもいない静けさが、私を急に現実に引き戻しました。

もうあとは1人で家に帰るだけ。

誰の都合も何の時間も気にしなくて良いけど、心にポッカリ穴が空いたような寂しさに包まれながら車を出して家に向かいました。

さっきまで娘とお喋りしてたお店の前を通り、娘がいたアパートの近く、いつも落ち合っていた大型店の駐車場の横を通った時、初めて「もうここにはいないんだ」と寂しさが押し寄せて来て涙が出ました。

 

あのありえないような怒涛の1日は、私が笑顔で娘を送り出すための神様の仕業だったのかもしれません。