monologue

60代主婦のひとりごと

母の命日。

一昨日お墓参りはして来ましたが、4年前の今日、母が旅立ちました。

その頃既に別のブログを書いていたので、その日の記事を引っ張って来ました(^^;;

(著作権は自分にあるんだし(^.^))

………………………………

【2015・2・26】

今日、母が旅立ちました。81歳でした。
先月末に、心不全で救急搬送され、その後回復し退院しましたが、また衰弱し入院してました。
数日間意識がなかったり、会話が出来るくらいしっかりしたり、また意識がなくなったり……。
特に病気があったわけでもなく、ロウソクの炎がだんだん消えていくように、無理な延命は望んではいなかったので、自然に消えていった命でした。

子供として思うことは、ただひとつ。「お疲れ様」

悲しい気持ちももちろんあるし、もう少し生きて欲しかったのも、もちろんある。
でも、自分の親や兄妹、夫、親しかったお友達のほとんどが、もうあちらにいることを考えると、「逝かないで!」より、「みんなに会えたかな?」と穏やかに思えるのです。

ある意味、順番通りで良かった……とも。
しかも、穏やかに旅立てたのなら、「お疲れ様」です。

足が弱り、視力も衰え、いろいろ不自由していたけれど、そんな全てから解放され、楽になれたかな?
それだけが気になります。

父が先に向こうに行ってから20年以上の時間を、小さな身体で独り暮らしで過ごして来た母。
実家から少し離れて暮らす私は、つい日々の慌ただしさにかまけて、まめに寄ってあげられず、それだけが悔やまれます。

明後日、見送りを済ませて初めて、実感が湧いてくるのだと思いますが、いつも「ありがとう」の心でいられるように、母の思い出と過ごそうと思います。

大好きな「忘れられないおくりもの」の絵本のように。


こんなプライベートをここに綴ること、躊躇しましたが、このブログは私の生きた証しの意味もあるので、この日のことも、ちゃんと残しておきたいと思い、書かせて頂きました。

湿っぽいひとりごと、失礼しました(^^;;

………………………………

ブログを書いていたお陰で、こうして振り返れました。

 

母が亡くなってから、毎年2月になると、母との最期の時間を辿るクセがついてしまいました。

何日に入院、何日に少し元気になって…。何日から目を開けなくなって…。何日から病棟を変わって…。

今でもはっきり記憶を辿れます。

それだけ一瞬一瞬と向き合ってたのかもしれません。

亡くなる前の晩、私が布団に入り目を閉じた途端に夢を見ました。

(眠りについてはいなかったと思うけど)

急に母が満面の笑みで、なぜかスキップをしながら近づいて来ました。(そんなキャラじゃないのに( ̄∇ ̄))

あまりの笑顔につられて笑ってしまって…。目が覚めました。

そして「もうそろそろかも…」と直感した数時間後の夜中3時頃、姉からの電話で病院に駆けつけましたが、間に合いませんでした。(家から病院まで50分くらいはかかるので)

でも、母は旅立つ前にちゃんと会いに来てくれたんだ…と確信しました。

笑顔は、「もう痛いところも苦しいところもないよ」って言いたかったのかも。

………………………………

4年前と同じで、こんなプライベートの記事を残すことはちょっと躊躇いましたが、このブログを始めて最初の2/26なので、残しておこうと思いました。

(我が家の2・26事件…と言ってます(^^;;)

 

湿っぽいひとりごと、失礼しました(^^;;

(4年前と同じこと書いてる( ̄∇ ̄))

 

お読み頂き有難うございました。